平修(たいらおさむ)ブログ

私の作品やその他日記、統合失調症の闘病などを徒然とを書いています。

世界の果て、名もなき詩

残酷に流れる時を

数多の命のいななきが

奔流になってい駆け抜ける

悲鳴、怒号、祈り

数多の声が全ての大地へと響く

この世界に救いはあるのか

平等など存在しない地平で

上か下かキリのない自己愛の果て

最早慈悲は哀れみになり下がる

さあ穿て我が矮小な心に

解放と言う風穴を

冬と春と流れるもの

足取り軽やかに

萌える草木に

季節の移ろいを感じる3月

街行く人を眺めながら

穏やかな雪解けを想う

イヤホンから流れる

朗らかな音楽が

ゆっくりとした時間を

珈琲の湯気みたいに

漂う用にスローに流れる

曇天の不機嫌な空も

そのうち晴れて微笑むはず

某日を行く

時計はステップのように

リズムを刻む

 

生きる葛藤

自分が時々とても醜悪で滑稽で矮小ではないかと急に思うときがある。

だいたいそういう時は自分の嫌な部分を覗き込んだ時に起こる。

例えば自分が人との間に線を引いてること。

本当は自分のことを知ってもらいたい、愛してもらいたい。と言う渇望。

それに相対して自分の醜い本性を知られたら嫌われるのではないかと言う恐怖。

丸ごと素のままのを受け入れられない事は気づいている。

ただそうにも関わらずそれを願い続けるのは稚拙と言うほかない。

自分は恥ずかしながらマザコンと言われる類の大きな子供だ。

本はその母の関係性、父親を含める不安定な家族環境が自分の醜悪さを加速させた。

こんなに人を信じたくても信じてられないのは葛藤がある。

自分から動かなければ状況は変わらない。

それでも人のせい環境のせいにするあたりが自分を駄目にしてる。

いつか自分に対して許せるような寛容な自分になりたい。

ぼくらをまっている

3月の春風めいた夜風に打たれ

静寂の中さざなみのように

音楽をイヤホンから流す

昼の喧騒は何処へやら

日差しの暖かさと共に

夜に食べられたみたいだ

真空の夜は漆黒で

街明かりはぼやけていて

ピントの外れた情動的な景色

さながら日焼けした写真のよう

古臭い愛着にいつまでも感謝する

花咲く春は僕らを待っている

運命と言う憎きモノ

どうしょうもないことばかりだ

偉いとか偉くないとか

強いとか弱いとか

価値があるとか価値がないとか

平等なのは時間だけとか

平等に見えて不平等とか

人が生きるのに何故

こんなにもしがらみが多いのか

人の価値だけ価値観があるのなら

人は本当に解り和えるのか

難しく考えるなとか言われても

貴方はこんなにも救い難い我々を

手玉に取って何が楽しいのか

運命という名の憎たらしい神よ

性根腐った全能の存在よ

私は貴方を信じない

近況 闇夜に光る詩を持って

皆様どうも平です。

最近はb型作業所に通いながら文章を書き連ねています。

 

ところで、久々の対外的な文ですが近況報告があります。

2024年5月19日文学フリマ東京で平が新しい試みをします。

個人サークルの立ち上げです。

前から夢ではありましたが冬の文フリ東京で「代々木果実混合(ヨヨギフルーツミックス)」の一員として短編小説を10年間書いてきました。

その中でリーダーの朱乃紅さんにご協力を頂き、ようやく参加に漕ぎ着けました。

現在イベント申し込みが終わり製本中です。

お忙しい中でノウハウからサポートまで手厚くしてくださった朱乃さんには感謝で一杯です。

イベントのブース番号は現在振り分けられていないのでこれからですが通知が来次第X、並びにブログに掲載します。

と、言う事で5月19日文学フリマ東京38にて詩集、「夜行の詩」を出します。
f:id:tairaosamu3018:20240310185829j:image

このタイトルは「夜に書いた詩が多い」「暗闇でも光が指すように輝かく」と言う意味を込められています。

この直近四年程のほぼ全ての詩が収録されています。

 

この表紙が目印です。

皆様、感染性や寒暖差など体調を崩しやすい時期ですが体調には気を付けて下さい。

 

善人と悪人?愛とは?

当然のことだが人は善人と悪人とどちらでもない普通のひとが居る。

善人の皮を被った悪人。

無自覚な悪人。

一見口うるさく優しい善人

無自覚な善人。

自分はよくも悪くも人に影響を受けてしまい感化される。

最近では善人の皮を被った悪人に遭遇し、久々に激怒した。

というのも家族の一人が精神的にも経済的にもパートナーから虐待を受けてしまっていた。

直ちに妹の支援機関が通報した上、母と自分で全面協力したがどうやらその暴力パートナーとやり直すらしい。

不愉快だが長くは続かないだろう。

お互いがお互いを利用する歪な生活は自分には到底理解に及ばない物だ。

自分もそんな依存関係にはなりたくないと思う。

恋愛で本当に心から愛せるってどういう感覚なのだろうな。

人間不信の病である自分には理解しがたい。