記憶を辿ると自分の家にパソコンが来たのは14歳の時だった。
当日、マイクロソフトのワードで小説を執筆していた(今思うととても小説と呼べる様な代物ではない)
もともと物語を作ることや、アニメ、コンシューマーゲームが好きでいたが、小学校の卒業文集では全く違う将来の夢を語っていた。
その時の夢は祖母の経営していたもんじゃ焼き屋を継ぐ事だった。
小学校での自分は、ずれた天然で人懐っこいキャラクターだったかが中学に入ると引っ込み思案でおとなしい少年になった。
その頃は絵を描いていたが小説を書くことで自分の思いや怒り悲しみなどを昇華させていた。
今も同じではある。
ともかく内容が逸れたが小説を初めたのはその頃。
その時自分の作品づくりに大きな指針を与えたのは「キノの旅(電撃文庫)」の1巻である。
この書籍はいわゆるライトノベルと言われる形態で電撃文庫はその先駆け的なレーベルだった。
ライトノベルは文庫程の文量で最大の特徴は漫画調の表紙イラストと挿絵が入っていることだった。
登場人物はおおよそイラストがあるのでイメージしやすく、文書を読むのに集中力を要する自分にはうってつけだった。
本屋で様々なライトノベルを買っていた頃、自分はキノの旅の表紙に目が留まり何か親近感を覚えた。
後にわかったのだが表紙を担当していたのが自分がはまっていた「サモンナイト」と言うゲームのキャラクターデザインを担当していた黒星紅白先生でサモンナイトでは飯塚武史名義ではあったが同一人物「ああなるほど」と腑に落ちた。
表紙で何か運命的な物を感じつつ本編の小説を読んだがそこで自分は衝撃を受けた。
可愛らしいイラストに相反して中身の小説はこれでもかと非常に残酷で社会を皮肉っていた。
自分はそこに人間とはこんなにもに醜いのかと教えられた。
十代の自分はとにかく純粋で箱入り息子といえ、世の中の事を知らな過ぎた。
だが自分はコンシューマーゲームの剣と魔法の世界は最後は勇者の活躍で平和になる様に勧善懲悪が当たり前、正義は勝つのは当たり前の様な昭和感溢れる思考をしていた。
人間の心は多面体だと言う事を知らずにいた。
キノの旅は短編連作の形で人間の悪性を淡々とその人間らしさを描いていた、自分はこの本に人はなにかと教えられた気がした。
これが後に自分の価値観を変えた。
世の中が宝石みたいにキラキラしているだけではないと言う事に気付かされた。
「世界は美しくない、それ故に美しい」と言うこの本の冒頭に書かれた一言がこの本自体がまさに体現していた。
この本は自分の人生に多大な影響を与えている。
今でも大切な記憶だ。