3月の春風めいた夜風に打たれ
静寂の中さざなみのように
音楽をイヤホンから流す
昼の喧騒は何処へやら
日差しの暖かさと共に
夜に食べられたみたいだ
真空の夜は漆黒で
街明かりはぼやけていて
ピントの外れた情動的な景色
さながら日焼けした写真のよう
古臭い愛着にいつまでも感謝する
花咲く春は僕らを待っている
3月の春風めいた夜風に打たれ
静寂の中さざなみのように
音楽をイヤホンから流す
昼の喧騒は何処へやら
日差しの暖かさと共に
夜に食べられたみたいだ
真空の夜は漆黒で
街明かりはぼやけていて
ピントの外れた情動的な景色
さながら日焼けした写真のよう
古臭い愛着にいつまでも感謝する
花咲く春は僕らを待っている
どうしょうもないことばかりだ
偉いとか偉くないとか
強いとか弱いとか
価値があるとか価値がないとか
平等なのは時間だけとか
平等に見えて不平等とか
人が生きるのに何故
こんなにもしがらみが多いのか
人の価値だけ価値観があるのなら
人は本当に解り和えるのか
難しく考えるなとか言われても
貴方はこんなにも救い難い我々を
手玉に取って何が楽しいのか
運命という名の憎たらしい神よ
性根腐った全能の存在よ
私は貴方を信じない
皆様どうも平です。
最近はb型作業所に通いながら文章を書き連ねています。
ところで、久々の対外的な文ですが近況報告があります。
2024年5月19日文学フリマ東京で平が新しい試みをします。
個人サークルの立ち上げです。
前から夢ではありましたが冬の文フリ東京で「代々木果実混合(ヨヨギフルーツミックス)」の一員として短編小説を10年間書いてきました。
その中でリーダーの朱乃紅さんにご協力を頂き、ようやく参加に漕ぎ着けました。
現在イベント申し込みが終わり製本中です。
お忙しい中でノウハウからサポートまで手厚くしてくださった朱乃さんには感謝で一杯です。
イベントのブース番号は現在振り分けられていないのでこれからですが通知が来次第X、並びにブログに掲載します。
と、言う事で5月19日文学フリマ東京38にて詩集、「夜行の詩」を出します。
このタイトルは「夜に書いた詩が多い」「暗闇でも光が指すように輝かく」と言う意味を込められています。
この直近四年程のほぼ全ての詩が収録されています。
この表紙が目印です。
皆様、感染性や寒暖差など体調を崩しやすい時期ですが体調には気を付けて下さい。
当然のことだが人は善人と悪人とどちらでもない普通のひとが居る。
善人の皮を被った悪人。
無自覚な悪人。
一見口うるさく優しい善人
無自覚な善人。
自分はよくも悪くも人に影響を受けてしまい感化される。
最近では善人の皮を被った悪人に遭遇し、久々に激怒した。
というのも家族の一人が精神的にも経済的にもパートナーから虐待を受けてしまっていた。
直ちに妹の支援機関が通報した上、母と自分で全面協力したがどうやらその暴力パートナーとやり直すらしい。
不愉快だが長くは続かないだろう。
お互いがお互いを利用する歪な生活は自分には到底理解に及ばない物だ。
自分もそんな依存関係にはなりたくないと思う。
恋愛で本当に心から愛せるってどういう感覚なのだろうな。
人間不信の病である自分には理解しがたい。
昏々と眠る草花
闇夜に月光
春を呼ぶ風が
漆黒を通り抜ける
斜に構えなければ
何処か飲まれそうな
危うさを夜に描く
笑うような響きで
影が襲うから
灯りに火を灯せ
黒を払え
穏やかな日々が流れている。
この1、2週間くらい激しいストレスもなく心和やかな毎日を送っている。
二、三日で幸せな気分からどん底に落ちる様な気分の波もあまりない。
もしかしたらこれこそ自分にとっての平穏、或いは幸せなのかもしれない。
と、思うと同時にこれが到達点ではよくないのではという疑問もある。
今に留まるというのは前に進むことを投げ出すことにもなりかねない。
常に「努力する」というのが当たり前だった自分には「本当にこれが幸せなのか」という懐疑的な部分もある。
何にせよ苦痛の少ないのはいいことだ。
あわよくば成長を止めずゆっくり進んで幸せを維持したい。
2月雨降る冬の曇天
自室で暖房をつけた
温かな平穏の日
食卓を囲み歓談すれば
心も温まる
まるで燃える暖炉を囲う様に
ただ燃える薪を見るように
穏やかな時間は流れる
人に囲まれる幸せ
私は生きている
ここに居る