純粋な心を冷凍保存してはくれないか
夕焼けに流した琥珀の雫を
どうか返してはくれないか
遠い昔話をして
おとぎ話をして
舞う蝶々になって私を呼んで
巻き戻らない古時計の針を見て
蒼い残光になってはくれないか
傷ついた時に気づく痛みを知る
皆様どうも平です。
この度文学フリマ東京38の詳細が決まりましたので告知します。
サークル名 平屋書店
ブース: す-68 (第二展示場 Fホール)
会場は流通センター駅から徒歩2分です。駅を出て直ぐに看板があります。
入場料は今回から1000円となりました。
文学フリマは「自分が文学だと信じたもの」を頒布する同人即売会です。
自分、平修(たいらおさむ)はサークル代々木果実混合(よよぎふるーつみっくす)の一員です。
普段は冬の文学フリマ東京で小説の冊子を仲間と出してます。
今参加は代々木果実混合のリーダー朱乃紅(あかのこう)さんに協力を得て詩の本「夜行の詩(やこうのうた)」を出します。
この表紙か目印です。
頒布価格はより多くの方にお手に取って貰うため300円で出します。
ページ数は少ないですが40ページほどになります。
以前から自分のサークル、自分の本を出そうと思っていました。
まさかこんなに早く実現するとは思ってなかった事です。
皆様の来場お待ちしています。
それでは!
今日は前回から始まったカウンセリングに行った。
自宅の最寄りから一駅、駅からもそんなに遠くない場所にある。
春の暴風と黄砂で目は痛いやら口がジャリジャリするなど不快感で一杯だった。
前回は生い立ちから病の発症、仕事の経歴などを聞かれた。
今日はトラウマに関して踏み込んだ話をした。
自分のトラウマはほとんど人間関係だ。
特に女性がらみ、距離が近過ぎたり極端に恐怖したり、程よい距離は保てずいる。
しかしながら何故若い女性やその集団等が恐怖の対象なのか自分は全く言葉に表せなかった。
カウンセラーの先生が言うには「若い人特に女性はストレートにキモいとかウザいとか、不快感等を言葉を選ばず言う」と言う事だった。
確かに何を言われるか分からない上、病気の特性で被害妄想や不安感等がある為これは的確だと思った。
長年の謎が解けて腑に落ちた。
そんなに簡単な話を何故思いつかないのかと思うが無意識にトラウマとして抑え込んでいたようだ。
と、言うように少しずつ気がつく事がある。
終わった後はよくわからないが暫くすっきりして心地よい気分だった。
自分の事を深く聞いてくれると言うのは解放感がある。
これからもカウンセリングや自己内省、文書書きを通じて自己理解を深めたい。
夜に泳ぐ消え入りそうな六等星
空を回り儚くも照らすように
力ない無力さを訴えている
静寂が漆黒を纏う中
ひたむきにでも確かな光を放つ
まるで命の律動だ
僅かな灯りが証明しようとしている
存在の意義を
それは灯火の様に
暮れる群青の夕陽
飛翔する飛行機雲の尾びれ
この虚しさを食らった在りし日の思い出
この心に刻み続けた傷跡の赤い太陽
人生は太陽が昇り沈む一瞬に圧縮され
焼き付いたフィルムのようだ
痛み、喜び、悲しみ、憎しみ
全てが最後の無に還るまで淡々と進む
栄光は衰退になりやがて夜が来る
その日々を焼き付けて未来に運ぶ
そんな私が生きた証だから
最近自分の内省ができなくなった。
それもそうだ、自分に正直でない上に自分自身を許さない、否定し続けている。
けっして許さない事が悪いのではないが、ありのままの自分を捉えられない。
他人の「すべき」自分の「どうありたいか」を聴きとる冷静さ、曖昧な事を曖昧なまま受け取る思考が鈍っている。
最近は趣味もあまりやる気にならずひたすら止まったら死ぬ恐怖にやられ文字を連ねている。
自分にとって自己内省と書くことは生きづらい人生をサバイバルするための武器だ。
これを失えばたちまち自分は息絶える。
とある心理カウンセラーの本で上記の事を感じた。
つまるところ自分は自分を見失っていた。
駆け足でこの2年ぐらい必死で駆け抜けてきたがつい最近時間が多く空く中で少し見えてきた部分もある。
それからこの頃カウンセリングを受けている。
心理にまた触れて内省できるような自分を取り戻したい。
自分の心の声に耳を傾けてみよう。
そう思った。
今日は体調の悪い中診察に行った。
よりによって暴風雨で傘がひっくり返ったり飛ばされそうになってずぶ濡れになった。
お陰で寒くなって心細くなった。
診察では主治医が自分に向け「働いてない、と言う事を負い目に感じてる様ですね」と言われた。
それもそうだ、幼少の時から父親に「働かざる者食うべからず」と言われていたので、働かないで酒やギャンブルに興じていたりしている大人はみずぼらしいと言う先入観がどうしても消えない。
だがいざ大人になり、福祉にお世話になると「生きているだけで価値がある」と教わった。
はじめこそ抵抗があったがそれが仕事を長続きできない自分の免罪符になっていた。
やがて足掻く事17年。
人生の半分をのたうち回り、転職を繰り返した。
主治医はこうも言った。
「もう十分働いたと思いますよ」
と、自分は一瞬肩の力が抜けたがよくよく反芻して考えると「もう働けない」と言われたに等しい事に気がついた。
まだ30代なかばだ、こんなとこでひなが食っちゃ寝る生活はそれこそ自尊心が傷つく。
自分は主治医の言葉にショックを与えられた。
別に主治医のドクターに嫌悪感があるわけでないが、作業所止まりで少ない賃金で満足して生き生きしている利用者達に辟易していた自分がまさかリタイアするというのは自分の人生が何かと言う可也の痛みを伴った。
もともと集団に馴染めない自分はもうおそらく一人で仕事できるような環境でもなければ働けないのだろう。
占いで今年は良い年になると言われたが、1月からことごとく災難だらけだ。
最早奇跡にすがるしかない。
書くことは辞めないが。
それを取られたらもう自分を保てないだろう。