平修(たいらおさむ)ブログ

私の作品やその他日記、統合失調症の闘病などを徒然とを書いています。

物語

いつかきっとのおとぎ話は

風に運ばれ消え去った

残った塵を詩にして

宵の淵で酔えない酒を呑む

詩人は過去を後悔すれど

迷いの未来に目が行かず

夜の街の冷たさに素朴な感想をもらす

そんな街の何処かで誰かの

涙の宝石は生まれる

鈍痛に息を殺し

自分すら騙せない嘘が飛び交うと

苦しみは悲哀のメロディーと共に

ノンフィクションの物語になる

偽物だらけの匿名達がこの世界に蔓延る

上空の星達と真ん中で輝く月が見下ろす

小さくて広い世界

春の息吹

満開の桜並び立つ

春は蒼天の響き

散りゆく哀愁の宿命(さだめ)でも

花咲く萌える明るい季節

温かい風が運ぶのは

忘れたあの日の懐かしさ

甘酸っぱいさくらんぼの味

散り際の命の輝きこそ

艶やかな春の花としてふさわしい

とある4月の昼下がりは

いつかの残り香

儚くも美しい

生命の息吹き

 

4月雨の日

雨降り4月曇天の空

車が通るたび聞こえる水を弾く音

夕方の薄暗い部屋の中でただ文を書く

外では桜は中途半端に花開き

まるで春になるのを躊躇うようだ

人々はそんな羞恥を表している

花には関心がない

ただ妙だと口にするだけ

雨粒が花を叩いて飛び散る

少し淡い匂いがした

 

近況、新年度になり

皆様どうも平です。

新年度、体調を崩しやすい季節ですが皆様如何お過ごしでしょうか。 

大概の方が具合悪い中、自分もこの春の気候の変動に例外なくやられています。

B型の通所も月2回ほどまで減少。

どうにもならない状態です。

しかしながら一つ嬉しいこともありました。

この間入稿した本がやっと製本されて手元に届いたのです。

現物を手に取った瞬間我が子を初めて見た親の様に感激しました。

「夜光の詩」

それが平修として初めての自分の本のタイトルです。

この本の製作にあたって惜しみない朱乃さんの協力があったことはずっと、本当に感謝です。

本当にありがとうございます。
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写真は現物です。

文学フリマ東京38(5月19日日曜日)で300円で頒布します。

文学フリマとは「自分が文学だと信じた物を販売する同人即売会」です。

参加が楽しみです。

 

良い事、悪い事様々な様相です。

肩肘張らずに流されるままにしてみようかと思います。

 

追伸、文学フリマの会場で皆様お会いしましょう。 

それでは。

世界の果て、名もなき詩

残酷に流れる時を

数多の命のいななきが

奔流になってい駆け抜ける

悲鳴、怒号、祈り

数多の声が全ての大地へと響く

この世界に救いはあるのか

平等など存在しない地平で

上か下かキリのない自己愛の果て

最早慈悲は哀れみになり下がる

さあ穿て我が矮小な心に

解放と言う風穴を

冬と春と流れるもの

足取り軽やかに

萌える草木に

季節の移ろいを感じる3月

街行く人を眺めながら

穏やかな雪解けを想う

イヤホンから流れる

朗らかな音楽が

ゆっくりとした時間を

珈琲の湯気みたいに

漂う用にスローに流れる

曇天の不機嫌な空も

そのうち晴れて微笑むはず

某日を行く

時計はステップのように

リズムを刻む

 

生きる葛藤

自分が時々とても醜悪で滑稽で矮小ではないかと急に思うときがある。

だいたいそういう時は自分の嫌な部分を覗き込んだ時に起こる。

例えば自分が人との間に線を引いてること。

本当は自分のことを知ってもらいたい、愛してもらいたい。と言う渇望。

それに相対して自分の醜い本性を知られたら嫌われるのではないかと言う恐怖。

丸ごと素のままのを受け入れられない事は気づいている。

ただそうにも関わらずそれを願い続けるのは稚拙と言うほかない。

自分は恥ずかしながらマザコンと言われる類の大きな子供だ。

本はその母の関係性、父親を含める不安定な家族環境が自分の醜悪さを加速させた。

こんなに人を信じたくても信じてられないのは葛藤がある。

自分から動かなければ状況は変わらない。

それでも人のせい環境のせいにするあたりが自分を駄目にしてる。

いつか自分に対して許せるような寛容な自分になりたい。