雨降り4月曇天の空
車が通るたび聞こえる水を弾く音
夕方の薄暗い部屋の中でただ文を書く
外では桜は中途半端に花開き
まるで春になるのを躊躇うようだ
人々はそんな羞恥を表している
花には関心がない
ただ妙だと口にするだけ
雨粒が花を叩いて飛び散る
少し淡い匂いがした
雨降り4月曇天の空
車が通るたび聞こえる水を弾く音
夕方の薄暗い部屋の中でただ文を書く
外では桜は中途半端に花開き
まるで春になるのを躊躇うようだ
人々はそんな羞恥を表している
花には関心がない
ただ妙だと口にするだけ
雨粒が花を叩いて飛び散る
少し淡い匂いがした
皆様どうも平です。
新年度、体調を崩しやすい季節ですが皆様如何お過ごしでしょうか。
大概の方が具合悪い中、自分もこの春の気候の変動に例外なくやられています。
B型の通所も月2回ほどまで減少。
どうにもならない状態です。
しかしながら一つ嬉しいこともありました。
この間入稿した本がやっと製本されて手元に届いたのです。
現物を手に取った瞬間我が子を初めて見た親の様に感激しました。
「夜光の詩」
それが平修として初めての自分の本のタイトルです。
この本の製作にあたって惜しみない朱乃さんの協力があったことはずっと、本当に感謝です。
本当にありがとうございます。
写真は現物です。
文学フリマ東京38(5月19日日曜日)で300円で頒布します。
文学フリマとは「自分が文学だと信じた物を販売する同人即売会」です。
参加が楽しみです。
良い事、悪い事様々な様相です。
肩肘張らずに流されるままにしてみようかと思います。
追伸、文学フリマの会場で皆様お会いしましょう。
それでは。
残酷に流れる時を
数多の命のいななきが
奔流になってい駆け抜ける
悲鳴、怒号、祈り
数多の声が全ての大地へと響く
この世界に救いはあるのか
平等など存在しない地平で
上か下かキリのない自己愛の果て
最早慈悲は哀れみになり下がる
さあ穿て我が矮小な心に
解放と言う風穴を
足取り軽やかに
萌える草木に
季節の移ろいを感じる3月
街行く人を眺めながら
穏やかな雪解けを想う
イヤホンから流れる
朗らかな音楽が
ゆっくりとした時間を
珈琲の湯気みたいに
漂う用にスローに流れる
曇天の不機嫌な空も
そのうち晴れて微笑むはず
某日を行く
時計はステップのように
リズムを刻む
自分が時々とても醜悪で滑稽で矮小ではないかと急に思うときがある。
だいたいそういう時は自分の嫌な部分を覗き込んだ時に起こる。
例えば自分が人との間に線を引いてること。
本当は自分のことを知ってもらいたい、愛してもらいたい。と言う渇望。
それに相対して自分の醜い本性を知られたら嫌われるのではないかと言う恐怖。
丸ごと素のままのを受け入れられない事は気づいている。
ただそうにも関わらずそれを願い続けるのは稚拙と言うほかない。
自分は恥ずかしながらマザコンと言われる類の大きな子供だ。
本はその母の関係性、父親を含める不安定な家族環境が自分の醜悪さを加速させた。
こんなに人を信じたくても信じてられないのは葛藤がある。
自分から動かなければ状況は変わらない。
それでも人のせい環境のせいにするあたりが自分を駄目にしてる。
いつか自分に対して許せるような寛容な自分になりたい。
3月の春風めいた夜風に打たれ
静寂の中さざなみのように
音楽をイヤホンから流す
昼の喧騒は何処へやら
日差しの暖かさと共に
夜に食べられたみたいだ
真空の夜は漆黒で
街明かりはぼやけていて
ピントの外れた情動的な景色
さながら日焼けした写真のよう
古臭い愛着にいつまでも感謝する
花咲く春は僕らを待っている
どうしょうもないことばかりだ
偉いとか偉くないとか
強いとか弱いとか
価値があるとか価値がないとか
平等なのは時間だけとか
平等に見えて不平等とか
人が生きるのに何故
こんなにもしがらみが多いのか
人の価値だけ価値観があるのなら
人は本当に解り和えるのか
難しく考えるなとか言われても
貴方はこんなにも救い難い我々を
手玉に取って何が楽しいのか
運命という名の憎たらしい神よ
性根腐った全能の存在よ
私は貴方を信じない